Tenohiraの電気式日記
*** 気が付いた事、出来事、調べた事を綴っています ***
駄文
驚きの多さが、たぶん幸せの素。
以下、とりまとめの無い駄文です。いつか整理したい。
たぶん、映画のジャンルはほぼ観てしまった。
ラブストーリー、SF、サスペンス、ホラー、歴史もの、B級、etc.
映画は心の栄養。
ゲームもだいたい遊び尽くしてしまい今ではそれほど興味を持てない。
若干やってみたいゲームはあることはあるが。
ゲームは発想力の訓練装置。
少し考えると、究極の娯楽は、誰かとの対話(会話)なのだと思う。
話をする為に知識を得たり、何かモノを作ってみたり、
それに持って行きたいが為に頑張るというか力を注ぐのだと思う。
いわば自分自身が娯楽の素である。
東京オリンピック(1964年)以降、いろいろと生活面でも変化があり、
我家ではテレビが白黒からカラーになり、電子レンジで目玉焼きが作れたのに驚き、
ラジカセで録音した自分の声に落胆し、テクノの音に驚き、
アマチュア無線で300Kmも電波が飛んでみたり、と電気の驚きは凄かった。
一方、近所の家畜達はこの30年でものの見事に姿を消した。
家畜の臭いが無いのはうれしいが、昔はそれが当たり前だったから
子供の自分は気にならなかったが、大人はそうでもなかったようだ。
ハエ取りリボンなんかは、今もあるのか?
飼っていたヤギは米を食べ過ぎて胃袋内で膨張して破裂して死んだり、
豚の種付けで連れてこられたオス豚が逃走し、自分の自転車に体当たりしたり、
近所の羊に乗ってみたり、その羊が処分された木の下でかわいそうに思ったり、
ハムスターの共食いに驚いたり、ニワトリに鴨の卵を抱かせて孵化させたり、
植物栽培では、葉タバコの夏場の臭いにうんざりしたり、その消毒では息を殺したり、
夏の日差しで暑くなったスイカを畑でそのまま食べたり、
川からの帰り道でこっそり他所の畑でキュウリを1本拝借したり、
と、「驚き」を挙げてみるとそれなりにあるものだと思った。
今というか、ここ10年位だと何だろうと思うと
電気モノだとインターネット黎明とその進化?なのかな。
何もかも手軽に早く情報を引き出すためにいい道具であるけれど、
あまりにも凄すぎて、人間が調べようとする根気が低下してしまった。
記憶に留めるというよりも、いまそこにある情報を、取ってくるといった感覚だ。
世の中がそうなっちゃったから仕方が無い。もう後戻りはできない。
30年位昔は、自然の脅威とかがまだ色濃くあったりして、
世の中には人間がどうにもできないものもあるものだという教育もできたのだと思う。
蒙古が来るぞ!とか言って。
その影響かどうかはわからないが、情報が容易くわかってしまうから、
自然の脅威なんてものは、今は通用しないのかも。
もう、迷信なんてのは死に絶えそうな勢いだ。
まんが日本昔ばなしをリアルタイムで観ていた世代までかな。
この他に、人が生まれたり、死んだり、喜怒哀楽したりして
何かと退屈に事欠かない日本に生まれて幸せだ。
すべての人が分かってくれるわけではないけれど、
最近じゃネガティブな驚きも走りの方へまわして
走る力へリサイクルできるようになったから、
そんな風に考えられるようになったなと驚いている。
社会的現役は、あと20年程だと思うので、
それ以降30年位?は驚きが得られるように、今から体力を付けておこうと思う。
以下、とりまとめの無い駄文です。いつか整理したい。
たぶん、映画のジャンルはほぼ観てしまった。
ラブストーリー、SF、サスペンス、ホラー、歴史もの、B級、etc.
映画は心の栄養。
ゲームもだいたい遊び尽くしてしまい今ではそれほど興味を持てない。
若干やってみたいゲームはあることはあるが。
ゲームは発想力の訓練装置。
少し考えると、究極の娯楽は、誰かとの対話(会話)なのだと思う。
話をする為に知識を得たり、何かモノを作ってみたり、
それに持って行きたいが為に頑張るというか力を注ぐのだと思う。
いわば自分自身が娯楽の素である。
東京オリンピック(1964年)以降、いろいろと生活面でも変化があり、
我家ではテレビが白黒からカラーになり、電子レンジで目玉焼きが作れたのに驚き、
ラジカセで録音した自分の声に落胆し、テクノの音に驚き、
アマチュア無線で300Kmも電波が飛んでみたり、と電気の驚きは凄かった。
一方、近所の家畜達はこの30年でものの見事に姿を消した。
家畜の臭いが無いのはうれしいが、昔はそれが当たり前だったから
子供の自分は気にならなかったが、大人はそうでもなかったようだ。
ハエ取りリボンなんかは、今もあるのか?
飼っていたヤギは米を食べ過ぎて胃袋内で膨張して破裂して死んだり、
豚の種付けで連れてこられたオス豚が逃走し、自分の自転車に体当たりしたり、
近所の羊に乗ってみたり、その羊が処分された木の下でかわいそうに思ったり、
ハムスターの共食いに驚いたり、ニワトリに鴨の卵を抱かせて孵化させたり、
植物栽培では、葉タバコの夏場の臭いにうんざりしたり、その消毒では息を殺したり、
夏の日差しで暑くなったスイカを畑でそのまま食べたり、
川からの帰り道でこっそり他所の畑でキュウリを1本拝借したり、
と、「驚き」を挙げてみるとそれなりにあるものだと思った。
今というか、ここ10年位だと何だろうと思うと
電気モノだとインターネット黎明とその進化?なのかな。
何もかも手軽に早く情報を引き出すためにいい道具であるけれど、
あまりにも凄すぎて、人間が調べようとする根気が低下してしまった。
記憶に留めるというよりも、いまそこにある情報を、取ってくるといった感覚だ。
世の中がそうなっちゃったから仕方が無い。もう後戻りはできない。
30年位昔は、自然の脅威とかがまだ色濃くあったりして、
世の中には人間がどうにもできないものもあるものだという教育もできたのだと思う。
蒙古が来るぞ!とか言って。
その影響かどうかはわからないが、情報が容易くわかってしまうから、
自然の脅威なんてものは、今は通用しないのかも。
もう、迷信なんてのは死に絶えそうな勢いだ。
まんが日本昔ばなしをリアルタイムで観ていた世代までかな。
この他に、人が生まれたり、死んだり、喜怒哀楽したりして
何かと退屈に事欠かない日本に生まれて幸せだ。
すべての人が分かってくれるわけではないけれど、
最近じゃネガティブな驚きも走りの方へまわして
走る力へリサイクルできるようになったから、
そんな風に考えられるようになったなと驚いている。
社会的現役は、あと20年程だと思うので、
それ以降30年位?は驚きが得られるように、今から体力を付けておこうと思う。
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